不確実性を表す「VUCA」に代わり、「BANI」(Brittle, Anxious, Non-linear, Incomprehensible)という造語が広まっています。安全と思われたシステムが実は脆弱で、不安が広がり、因果が見えにくく、理解しがたい状況ーーそんな社会で、リーダーはどうあるべきなのか。持続可能な組織の変革に必要な要素とは。
11月に来日したJean-François Manzoni学長が、日本企業の経営幹部とのセッションで講演した内容から、一部をご紹介します。
世界のさらなる変容とリーダーの困難
Manzoni:VUCA(Volatile, Uncertain, Complex, Ambiguous:変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)はよく知られていますが、最近ではBANI(Brittle, Anxious, Non-linear, Incomprehensible:脆弱性、不安、非線形性、理解不能性)という言葉も出てきています。
“Brittle”は壊れやすいという意味で、”Anxious”は不安な状態、”Non-linear”は直線的でない、つまり原因と結果が直接結びつかないことを意味し、”Incomprehensible”は情報や出来事が複雑すぎて理解しがたいという意味です。つまり、それだけ世界がより複雑になっているということです。
私は「4つのD」ーデジタル化(Digital)、分散型(Decentralized)、脱炭素化(Decarbonized)、多様性(Diverse)ーという頭文字が好きです。世界の変化を別の言い方でうまく捉えています。
※BANI:アメリカの未来学者Jamais Cascioが提唱。新型コロナウイルスのパンデミックが引き起こした事象を反映し、VUCAモデルの限界に対応するために提唱されました。
Manzoni:これだけ複雑さと厳しさが増す世界で、リーダーの役割も、より難しくなっています。業績圧力の増大、ディスラプションの脅威、リモートワークの普及、情報の急増、環境問題への対応、若い労働者の要求の増加。多くの課題に直面しています。
Manzoni:世界に目を向けると、米中の緊張を背景に、地政学への関心が高まっています。自国の利益優先の流れが強まり、グローバル化への風当たりも強まっています。
また、「信頼の危機」も起きています。多くの国々でポピュリズムが広がる中、政府は複雑な問題に対し、単純な解決策しか提示できていないようです。ポピュリズムがナショナリズムの最悪の側面を助長しています。
さらに、短期的な利潤の最大化を超えて、ステークホルダー資本主義の観点から企業への圧力も増しています。「ビジネスに良いことは、社会にも良い」とされてきましたが、「あなたたちにとって良いことかもしれないが、私たちにとってはそうではない」との声も聞かれるようになったわけです。
将来を見据えた実行と変革
Manzoni:産業が収斂化し、産業や市場の境界が曖昧になり、異業界の企業が競合するようになっています。以前は、各社の製品やサービスの特徴や機能は似通っていて、競争の環境や見通しもある程度明確でした。しかし最近では、世界中の、業界も能力も異なる企業と競争するようになりました。かつては独立した製品だった携帯電話、音楽プレーヤー、カメラなどが、スマートフォンに統合される、といった収斂(コンバージェンス)が進んでいます。
既存の市場で既存のやり方を最大限に使いながら変革をしていくべきなのです。ここで言う「変革」とは、これまでとは違う新しい事業をするという意味と同時に、既存事業から新しい成長プラットフォームを構築することも含んでいます=下図。
Manzoni:以前なら、企業は既存事業に85%のリソースを割り当て、変革には15%を充てていましたが、今は半々、あるいは6対4、もしくは4対6の比率になっています。つまり、変革は以前よりもはるかに重要になっているのです。将来に備えて、どのように実行と変革を同時に進めるべきかが問われています。
戦略には、「どこで戦うか」と「どう勝つか」という二つの重要な軸があります。
例えば、自動車業界を見ると、かつては自動車製造だけでしたが、今ではモビリティとしてのサービス提供にも事業を広げています。プロセスも、販売店への納入から、メーカーが直接消費者に届ける方式へと変化しています。動力源も内燃機関から電気、そして自動運転へと移行しつつあります。
携帯電話が接続端末へと進化するのと同じように、既存の能力を活用し新たな市場に進出し、そこから新しいビジネスを生み出すことが重要です。
変革のS字曲線に乗り移る
Manzoni:「実行と変革の両方が必要だ」とはいうものの、いざその両方を実践するとなると難しいものです。
理由の一つは、既存のビジネスが順調な場合、変革への緊急性を感じないことがあるからです。また、新規事業は収益性が低いことも多く、成功するためには集中と大量の資源、時間、エネルギーが必要です。
トップマネジメントの認識の不一致も問題になりがちです。変革には業績を上げることと同じくらいの努力が必要であり、やらないことを決めるのも戦略の一つです。
前言を撤回する柔軟性も時には重要です。例えば、IMDの講義形態は、以前は対面が不可欠だと私自身考えていましたが、新型コロナウイルスのパンデミックを経験したことで、オンライン教育の価値を再認識しました。
Manzoni:成果は一般にS字曲線を描きます。最初は戦略やイニシアチブの効果が出にくいですが、その後成長します。利益が低下する時期には新しいアプローチへの移行が必要です。飛び移るには勇気が必要ですが、待ちの姿勢を続けると、その分コストもかかります。
戦略は選択が鍵で、市場の全てのセグメントに参入するよりも、何かを選択し集中することが大切です。また、鋭い選択、持続的な取り組み、柔軟性の組み合わせが成功のために必要です。
経営幹部は、与えられた情報だけで判断するのは危険です。特に、一つの企業文化しか知らない環境にいるのなら、世界の動きに身を晒しておくことが極めて重要です。
Manzoni:企業の能力構築について、IMDのハワード・ユー教授は、最初は小さな試みから始め、徐々に拡大していくと述べています。新しい能力やコンピテンシーを開発する際も、小さく始めて、それが発展すべきコンピテンシーであると判断したら、スケールアップしていくというアプローチを指摘しています。
例えばスニーカーブランド「ナイキ」は、この数年で大きな成果を上げています。
従来のマスマーケティングから、オムニチャネルを通じて個人に合わせたアプローチへと変わりました。その結果、消費者への直接販売の比率が大幅に増加し、従来の卸売りや小売りとの取引比率とほぼ半々になりました。ここまで変わるには、組織全体で新しい能力の開発が必要でした。
自動車、銀行、金融などの産業でも同様に、新たな環境で競うための新たな能力ーDX、データ、AIへの投資が必要です。特に、顧客や消費者との共有データの創出が非常に重要です。
デジタルバンキング業界で知られているシンガポールのDBS銀行も、長年データに投資を続け、今はAIに大規模な投資をしています。
Manzoni:サステナビリティは今や企業戦略の核となっています。事業をサステナビリティなものに転換したい企業は、製品やサービス、ビジネスモデルにイノベーションをもたらすために、事業のポートフォリオを見直します。例えばフランスのシュナイダーエレクトリックは、将来性のない事業を売却し、エネルギー効率化の事業に集中させました。
価値を提供し、また価値の成果を獲得するには、価格設定の戦略、顧客行動の変革、パートナーシップの構築、そして時にはライバルとの連携も必要です。
経営陣のズレを正すには
Manzoni:優れたトップマネジメントは、元々優れていたわけではなく、共に働き、協力し合うことで優れたものになっていきます。良い決定を下すだけでなく、一緒により良く働くために改善を重ねることが大切です。
3つの側面で考えてみます。まず、多様な視点を持つチーム構成が重要です。複雑で変化が激しい環境では、多様な視点が解決策をもたらします。
次に、意見が異なっても、最終的には合意して進むこと。活発な議論が必要ですが、多くの経営陣は礼儀正しすぎて、本質的な議論をしていないことがあります。例えば、Amazonが実践している「反対し、コミットする」(disagree and commit)のように、十分に議論した後には、反対意見があっても前に進む決断が求められます。
さて、皆さんの中には「我が社の経営チームは、一緒に取り組む内容に全員合意している」と思っている人も少なくないと思います。でも実際には、多くの経営チームが一致していると思っているが、実際はそうでないことが研究で明らかになっています=下図。
Manzoni:124社を対象にした調査で、経営陣が自社の戦略の優先順位の高い5項目のうち3項目を正確に挙げられたのは意外と少ないことがわかりました。全員が5つの優先事項を正確に挙げた企業は2社だけでした。また、6割の企業では、3つの優先事項を挙げられた経営メンバーは半分にも満たない状況でした。これが現実です。
Manzoni:経営陣の認識は95%は一致しているのが理想ですが、これほど認識のズレが生じる原因は、経営陣自身がそのズレの度合いを過小評価していることにあります。
経営陣で生じたズレは、職位が下がるほど大きくなります。組織を変え、従業員に明確な経営シグナルを送るためには、一致させるための「レバー」を効果的に操作する必要があります=下図。
Manzoni:経営陣の行動は、従業員の行動に大きな影響を与えます。また、組織の構造、プロセス、情報技術も影響を及ぼす「レバー」の働きをします。KPI(重要業績評価指標)やインセンティブは、従業員が取るべき行動の方向性を示し、望ましい行動を奨励するための重要なツールです。
もし組織をより持続可能にするために変革したいなら、もっと革新的(Innovative)に、もっと機敏(Agile)に、そしてもっと多様(Diverse)で包摂的な(Inclusive)行動をとる必要があります。
「偉大」なリーダーと自己管理
Manzoni:偉大なリーダーは、組織内の混乱、不安、恐怖、無力感を吸収し、明確な目的、戦略的方向性、自信、前進への力、忍耐力、そして明確なモラルを提供する存在です。生まれながらにこれらの資質を持つ人もいますが、多くは自己管理によって、これらの資質を磨く必要があります。
Manzoni:多くのリーダーが集中力を失いがちで、自分自身や他者の感情に触れる機会は限られています。
今の時代、リーダーには何か、スピリチュアルな要素が必要だと思います。ここでいう「スピリチュアル」は、宗教的な意味ではなく、自己を超えた霊的な何かを指します。
「自らエンゲージせずに、他者をエンゲージすることはできない」とリチャード・ボヤツィス(米国の組織行動学者)はかつて言いましたが、まさに的を射ています。あなた自身の状態は他者に影響を及ぼすのです。
Manzoni:自己認識を深め、ショックを吸収し、失望から回復し、高いパフォーマンスレベルを維持する能力を持つことです。レジリエンスは訓練で身に着くスキルです。
Manzoni:「自己認識」も、リーダーシップの重要な側面です。時間の経過と共に変化する自分を理解し、自分の行動がどのように機能し、なぜそうなるのか、そして他者にどんな影響を与えるかを知る必要があります。多くのリーダーはこの自己認識が足りていません。自分の欠点を克服し、長所を伸ばすためには自己管理が欠かせないのです。
また、「マインドフルネス」も大切な要素です。これは現在に集中し、自己の内面に注意を払う能力を指します=下図。
Manzoni:「今」に心を向けることを得意だと思っている人は多いですが、実際には心が他のことに奪われている時間が47%にも上るという研究があります。この研究では、「今」に集中できた活動はわずか1つだけで、それ以外は、ほとんどの時間、人の心は他のことにさまよっていることがわかりました。
Manzoni:「今」に心を向けるには訓練が必要です。特定の瞑想を8週間毎日20分行うことで、脳に顕著な変化が見られることがわかっています。
ただ、多くの組織は、マインドフルネスやレジリエンスの重要性を認識しているものの、任意かつ限られた時間で訓練することしかしていません。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
Manzoni:現代のリーダーがもう一つ意識すべきことは、資質のバランスです。戦略的、親切、厳しさといった優れた資質を持つことは重要ですが、それらが過剰に出ると効果が減るどころか、むしろ逆効果になる可能性があります。
Manzoni:レゴを例に挙げると、同社は、いくつかのパラドックスからこの課題を考えました=上図。部下と親密な関係を築きつつ、しかし同時に適切な距離を保つ。スタッフを信じつつ、しかし同時に何が起きているかに目を配る。バランスの取れたアプローチを心掛けることが、効果的なリーダーシップには不可欠なのです。